「ここに父君の御霊が……?」
「然り。神奈様ならば御父君の気配を感じられる筈です」
晴明殿に案内されし清水の大岩。そこは今日の街から離れた場所に位置し、煌びやかな都とは対照的に物静かな場所でございました。
「感じる……。父君の気配を感じる……」
その時の神奈様のお顔は何故だか物哀しそうなお顔でございました。会えぬと思われていた父君に会えたのですから、普通ならば大層嬉しそうなお顔を為さられる所なのですが。
「どうした、神奈? 父君に会えて嬉しくないのか?」
「嬉しいのだ。されど、されど、父君の御霊に会えても、母君から受け継ぎし記憶を辿り父君のお姿を思い浮かべても、父君の温もりを感じ取ることは出来ぬのだ……」
人の御霊の気配を感じ取られ、その者の姿を鮮明に思い浮かべる事の叶う神奈様。されど、直に人の温もりを感じることは、神奈様と言えども叶わぬことなのでした。
「晴明殿。何とかならぬものなのか?」
神奈様のお姿を不憫に思われたのか、柳也殿が訊ねました。
「他人の身体に御霊を移し替える方法ならば何とか叶うでしょう。されど、それは余りに危険な行為です。神奈様がご自身のお身体に御霊を移すならばまだ可能でしょうが」
「いや、余は父君の温もりを直に感じたいのだ。自らの身体に父君の御霊を宿らすのでは直に温もりを感じることは出来ぬ。それに他の者に父君の御霊を宿した所で、それは父君の温もりを直に感じたことにはならぬ……」
つまり神奈様は、生前のお姿のそのものの、父君の温もりを直に感じたいのでしょう。既に肉体無き者の温もりを感じるなど、どのような力を持ってしてでも叶わぬことのように思います。
「我の力でも身体無き者に生きるを与えることは叶わぬであろうな……。神奈の父君の身体が一部でもあれば」
「肉体の一部!? 叶う、叶うぞ!」
その時、神奈様は何か妙案を閃いたようでございました。
「何かしらの策が思い付いたのか、神奈?」
「うむ。父君の身体はないが、余の身体には父君の身体の記憶の如きものが刻まれている。この余の身体に刻まれし父君の記憶を余の力で何かしらの物に宿し、それに柳也殿の力を加われば何とかなるかもしれぬ!」
「天照力と月讀力の融合、それならば叶うかもしれませぬな。されどお二人の力を持ってしてでも、完全なる人の身体を創ることは不可能でありましょう」
「晴明殿、それは百も承知だ。されど、例え刹那の刻であろうとも父君の温もりを直に感じられる策があるならば、余はその策に賭けたいっ……」
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巻十四「文月の祇園祭」
「うぬぅ、上手く縫えぬ……」
御霊に宿すのに一番適切なのは人形だ。母君から受け継ぎし記憶の中には、人形を縫う記憶もある。その記憶を元に繕えば容易く作れると、神奈様は意気揚々と人形作りを始めたのでした。
ですが、人形作製は思ったよりはかどりませんでした。
「神奈、人形を縫ったことがあるのか?」
見兼ねた柳也殿が、神奈様に訊ねました。
「いや、縫うのは今日は初めてだ。然るに案ずるな、余は人形を縫う過程は全て記憶している」
「そう言って既に半刻は経過したぞ?」
「うぬぅ……」
作り方はご存知なのに、思うように繕えない。常人を遥かに超える記憶力を持っている神奈様だからこそ、余計に焦燥感にかられるのでしょう。
「なにゆえ、何故上手くいかぬのだ! 人形の作り方は記憶しておる。父君の顔も記憶している。ならば父君の顔を模した人形を繕うことなど容易いことの筈なのに。何故上手くいかぬのだ……」
人形を作り始めてから一刻半が経過しました。人形の基礎となる身体の部分は大方完成して行きました。ですが、肝心要のお顔の部分が上手く繕えず、神奈様の焦りは増すばかりでした。
「神奈、歌を作ることは出来るか?」
突然柳也殿がそのようなことを神奈様に訊ねました。
「歌? 詠むことなら容易いぞ。『万葉集』に『古今和歌集』、柳也殿の父君が編纂した『後撰和歌集』まで、古今東西あらゆる歌を記憶しておる。何ならこの場で万葉の巻一から巻二十まで詠んで見せようか?」
「そうではなくて、自ら歌を作り出せぬかと聞いておるのだ」
「歌を作り出すか……」
そう仰られますと、神奈様は歌を作り出し始めたのか、黙り始め思案為さいました。
「うぬぅ、まったく歌が思い浮かばぬ。おかしいのう、あらゆる歌を網羅しているのだから、歌を作り出すことなど容易い筈なのに……」
「よいか神奈。あらゆる歌を網羅していれば、必ずしも歌を作れるというわけではないのだ。確かに知っているに越したことはない。その知っている歌の知識を生かし新な歌を奏でることもできよう。
されど、覚える事と創る事とは関連性があれど、直結はしておらぬ。いくら歌を知っていても、新たな歌を作るには、作る人間の素質や感性が関わってくる。
人形を作るのも同じことだ。例え繕い方を知っていようとも、今までにない新たな人形を創造するのには、受け継がれし記憶ではなく、神奈自身の資質が問われるのだ」
確かに、記憶力が優れているからといって、その者が創造性に優れているとは言えません。もしかしたなら、翼人は記憶力は常人を遥かに超越していても、創造力は人並みかそれ以下なのかもしれません。
「そうか、余には創造力がないのだな……」
ポンポン。
己に創造力がないと嘆く神奈様のお手を、未だ顔の定まらぬ人形が撫でるが如く軽く叩きました。
「めげるな、神奈。お前は父君に心の底から父君の温もりを直に感じたいと思っているのだろう? その想いがあれば、きっと作れる」
「柳也殿……」
自ら神奈様をお慰めにならえるのではなく、天照力を人形に込め、神奈様を励ませる。それは、柳也殿なりの心遣いなのでしょう。
「ありがとう、柳也殿。余は諦めぬ。上手くいかなくとも、必死に父君に模した人形を繕ってみせる!」
柳也殿に励まされ、神奈様はすっかりなくしていた覇気をお戻しになられました。父君の温もりを直に感じたい。その想い一心に神奈様は人形を繕い続けるのでした。
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「で……出来た……」
人形を繕い始めてから既に半日が過ぎようとしていました。辺りは既に暗闇が覆い、望月に程近い月が闇を打ち消すかの如く光り輝いておりました。
神奈様のお作りになられし人形。そのお顔は記憶の中にある父君を模したのでしょうが、辛うじて人の顔に見えるような出来映えでございました。
されど、そのような人形であれど、神奈様の想いがこれでもかと込められし人形には違いありません。
「程よい月の照り具合。神を信じぬ者が言うのも何だが、儀式を行うのには相応しい刻だ」
「うむ。では始めるぞ柳也殿。天照と月讀の力の融合。それは互いの力が生まれし時より今に至るまでの数千年、一度も為されたことがない。正直余も上手くいくかどうかは分からぬ……」
「案ずるな、神奈。お前の強き想いがあれば必ず成功する」
「うむ……」
美しき月が照り輝き続ける中、儀式はしめやかに始まりました。
「我等を護り賜し八百万~よ、願はくは我が月讀力持て、我が父君に刹那の命を与へ賜えん、仮身傳生……」
神奈様が静かに祝詞を唱え始めますと、突如人形が輝き出し、見る見る内に人の形になっていきました。
「柳也殿。余に出来るのはここまでだ。あとは柳也殿が……」
「承知した。然るにこのような儀式を行うならば、形の上でも祝詞を唱えるに越したことはないな。神奈が人形を取り繕っていた間考え抜いた付け焼刃の祝詞だが、唱えてみる」
神奈様が人形をお作りになられし時、柳也殿は何やら思案為さっているご様子でした。一体何をお考えになられていたかと思えば、どうやらこの儀式の為の祝詞を考えていたのでした。
「我等を護り賜し八百万~よ、天地照らせし日輪に象徴されし我が天照力持て、刹那の命の輝きを与へ賜えん、光力與命!」
柳也殿が渾身の想いで、天照力を人の姿となった人形に注ぎ込みました。すると、人の形をしていただけの人形が、ゆっくりと目を開き始めました。
「かんな……神奈なのか……?」
そしておぼつかないお声で神奈様の名を語り始めたのでした。
「父君、ちちぎみ〜〜っ!!」
今まで心の奥底にしまい込んでいた父君に対する想いが堰を切ったように流れ始め、神奈様は無我夢中で父君に抱き付きました。
「会えることはないと思っていた! その温もりを直に感じられる機会は永遠に訪れぬと思っておった! ちちぎみ、父君っ……」
まるで童女の如く、神奈様は父君の胸で泣き崩れました。その神奈様を、阿弖流為殿は優しき面立ちで見つめながら、強く抱き締めてあげました。
「まさか顔を見ることもないと思っていた我が娘に会えるとはな……。これも皇族の血を受け継ぎし者のお陰か。
あれ程憎まずにはいられなかった皇族の者にこのような計らいを受けるとは、奇妙なものだ……」
柳也殿の顔を眺めながら、阿弖流為殿はそう呟きました。嘗て京の都を開きし桓武帝は、蝦夷の討伐を行い、阿弖流為殿等と対立しました。
柳也殿は少なからずその桓武帝の血を引継ぎし者。自分達の平穏を乱した元凶である最も憎むべき者の血を引きし柳也殿に、会える筈のない実娘との邂逅の機会を与えられた。
それは確かに数奇な巡り合わせと言えるでしょう。
「柳也殿、本当に恩に着る。次は民を救う番だ」
「良いのか、神奈? 父君は一日と持たぬのであろう。民を救うのはいつでも出来る。今は父君と共に過ごせる刻を楽しむのが……」
「いや、会えぬ筈の父君に会えたのだ。余はそれで充分だ。それよりも今この時も疫病に苦しみ、愛する家族と永別しなければならぬ者達を助けたい」
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翌日、柳也殿の命により、八坂神社に疫病に苦しみし民が次々と集められました。先月行なわれし祇園祭が大したご利益を与えなかったこともあり、多くの民は半信半疑のまま神社に集い始めたのでした。
「ぞくぞく集まって来ておるな。これだけの大人数に力を授けるのは骨が折れそうだが、我と神奈の力が合わせられれば何とかなろう」
「のう、柳也殿。余は真にこのような姿で儀式を執り行なわなければならぬのか……?」
自分達の素性や身分を表に出さぬ為の処置として、柳也殿は牛頭天王を、神奈様は薬師如来を模したお姿で儀式を行うこととなりました。
神奈様はその薬師如来のお姿で儀式に臨まられることに、多少なりとも躊躇いを感じていらっしゃるようです。
「ここでもし我等が身分や素性を明かし儀式を執り行ってみるが良い。そうすれば民は確実に我等を慕い敬うであろう。
しかし、そうすれば民の救済の象徴となるは必至。そうなってしまえばみちのくに帰りひっそりと暮らすことなど叶わなくなるぞ?」
「それは分かっておる。然るにそれならば、単に顔を隠すだけで事足りるであろう……?」
「いや、人としての身分で行えば、必ず詮索の的となる。故に人ではない神として民に接しなければならぬ」
「神などおらぬというのに。柳也殿もそれは承知であろう? 我等は神を信じぬ人間なのに、民には神の存在を信じさせる。それは矛盾しているのではないか?」
「確かに、自らは神を信じておらぬのに、他の者に神の存在を信じさせるのは欺瞞であろう。されど、この場で我等が神の存在を否定した所でどうなる? 民衆は我等の言葉を信じると思うか?」
「うぬぅ、それは……」
柳也殿の問いに、神奈様は黙り込んでしまいました。
「生死の境を彷徨い、正しく神頼みを行っている民衆に神を否定する言葉を投げ掛ければ、民衆は我等の言葉に耳を貸す所か、挙って我等の言葉に異を唱えるであろう。
下手に神を否定する言葉を投げ掛けるのは、民の逆鱗に触れる行為以外の何物でもない。ならば神の存在を否定するよりは、我等が神となり民衆を救済する方が良いではないか」
「うぬぅ。分かった、柳也殿の言う通りだ」
柳也殿の再三の説得に、神奈様は渋々賛同致しました。
「余等が神を演じるのはよく分かった。それが一番民の為になることも。然るに、それを踏まえても何故余がこのような破廉恥な格好をせねばならぬのだ!?」
神奈様の羽は神を模すのには最適のもの。だからそれを表に出した格好が望まれる。という柳也殿のご意見を反映し、神奈様のお姿は僅かに胸を隠しただけの羽が目一杯広がるお格好でした。
「『古事記』にあろう。天照を岩戸から出す際、天宇受売命が胸を出し裳の紐を陰の部分まで垂らしたと。要は、民はそのような淫乱な振舞いを行いながら踊れば、皆喝采するということだ」
「つまり、余も天宇受売命と同じ行為をしなければならぬということか……?」
「然り。全ては民の為だ」
「単に柳也殿が余の憐れもない姿を見たいだけなのではないか?」
「全く持ってその通りだ」
「そうか、ならば致し方ない……と、民の為だと一見正論な大義名分を並び立てて、結局は柳也殿が見たいだけではないか!」
「確かに我が見たいだけではあるが、民が喜ぶのもまた事実」
「余は絶対にやらぬぞ!」
柳也殿の余りの言い様に、流石の神奈様も賛同出来ないようでした。
「フッ、只の戯言だ。誰もお前のような童女の憐れもない姿を見ても歓喜などせぬであろうよ」
「うぬぅ! それはそれで聞き捨てならんぞ柳也殿!」
私に柳也殿の本心は分かりませんが、恐らく柳也殿は神奈様の緊張を和らげる為、敢えて神奈様をからかう言動を繰り返したのでしょう。
そしてそのような会話を続けている内に、儀式を行う刻は訪れたのでした。
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「せやけど、ホンマに牛頭天王さんは現れるんかいな?」
「せや、せや。天王さんが姿現すなんて嘘や」
八坂神社に集まりし民は、そのように半信半疑で儀式が始めるのを待ち続けておりました。何も民は牛頭天王を信仰していないという訳ではないのでしょう。先月の祇園祭で牛頭天王を奉っても疫病が止まなかったからこそ、人々は牛頭天王が自分達を助けてくれるわけがないと思っているのでしょう」
シュッ!
その刹那、柳也殿は颯爽と民の前に姿を表しました。無論、人々には柳也殿の動きは見えず、民は真に牛頭天王が現れたのだと思い始めたのでした。
「皆の者! 先月の祇園祭には姿を現せないで真に済まなかった。この度の疫病は余りに強力で、我一人の力ではどうしようもなかった。そこで、我一人の力では皆の者を救えぬと思い、薬師如来様をお呼びに行っていたのだ!」
そう柳也殿が仰られると、何時の間にか神奈様が姿を現していたのでした。実は、神秘性を増す演出として、月讀力で一瞬民衆の刻を止め、その刹那に神奈様が姿を現したのでした。
「おお! あの美しい羽は。何と神々しい」
「ホンマの仏様! 薬師如来様だ!」
民衆は神奈様の余りの神々しさに、皆薬師如来様が現れたと声を上げて喜んだのでした。
「……」
神奈様は静かに舞を踊り始めました。無駄のない軽やかで雅な舞。手足が動くのに呼応するかの如く羽ばたく神奈様の羽。そこにいた誰もが、神奈様の美しさに目を奪われたのでした。
「!? か、身体の発疹が消えていく!?」
神奈様は舞を踊りながら、月讀力で民の身体を蝕みし赤疱瘡を次々と殺めていったのでした。
ジャキ!
神奈様の舞が終わりに近付くと、今まで沈黙を続けていた柳也殿が草薙太刀を抜き、民の方へ振り翳したのでした。
「薬師如来様が邪気を振り払い、そして我が今皆に生気を与えた! これでもう案ずるものは何もない。
民よ、立ち上がれ! 疫病は立ち去った! もはやそなた等の身体を蝕むものはいない! 民よ、歓喜の声をあげるのだ!!」
「おお、ホンマや! 発疹が消えた所か身体中に生気がみなぎってきたで!」
「牛頭天王様萬歳ーー!! 薬師如来様萬歳ーー!!」
『万歳ーー!! 万歳ーー!!』
柳也殿と神奈様に心の奥底からの感謝を求めて止まない歓声が一斉に飛び交いました。今まで自分達を苦しめていた疫病から完全に開放されたことに、民は声が枯れるまで歓喜の声をあげ続けるのでした。
そして民が歓声の声をあげている中、お二人は静かに姿をくらますのでした。
この正暦五年文月に行なわれし祇園祭は、後の世にまで語り継がれ、柳也殿は八坂神社の祭神牛頭天王として奉られるのでした。「天皇」になることは叶わなかった柳也殿ですが、「天王」として永き時人々に語り継がれる神になることは叶ったのでした。
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「父君、余の舞はどうであった?」
祇園祭も無事終了し、その後神奈様は残されし刻を父君と共に過ごすのでした。
「美しかった。お前の母君である月讀姫様より」
阿弖流為殿は神奈様の母君とお話をし、神奈様は自らのお話をする。そうした他愛ない親子の会話は尽きることなく続くのでした。
そして、別れの時はやって来ました……。
「そろそろ離別の時か……」
「父君、すまぬ……。余と柳也殿の力を併せ持っても既に命の無い者を蘇らすことは叶わぬのだ……」
「良い。一日とはいえお前と同じ時を過ごせた。それだけで儂は充分だ」
そう仰られながら阿弖流為殿は、哀しいお顔を為さっている神奈様のお頭を軽く撫で上げるのでした。
「柳也殿、いや広平殿下と仰れば良いのか。先程の祭、真に見事なものであった。あの姿を見て、この二人ならばこれからのみちのくを任せられると思った」
「阿弖流為殿……」
「今のみちのくは象徴たる月讀様を失い二百年余り。みちのくの帝と言うべき月讀様の権威無き今のみちのくは、豪族諸氏が己の支配力を高めようと互いに争っている無法地帯に等しい。
神奈、お前がみちのくへと帰れば、みちのくは再び平穏を取り戻す。そして広平殿下、正当たる皇族の身分であらせられる貴殿がみちのくへと赴けば、朝廷も下手に手を出せなくなる」
神奈様がみちのくの帝と言うべき者になることによりみちのくを平定し、そして柳也殿が朝廷に対する牽制役とも言うべき存在になる。それがみちのくにとって一番良い状態なのだと阿弖流為殿はお思いなのでしょう。
「父君。すまぬが余は象徴だの権威だの、そのような者になるつもりはない。余の願いは柳也殿と共に平穏な暮らしを営むことだ」
「我も神奈と同じだ。もっとも、我等の平穏を乱す者にはそれなりの制裁を与えるくらいはしても良いがな」
「それも良い。二人がみちのくにいる。それだけで全てのことは上手く行くのだ……」
阿弖流為殿の身体が徐々に薄くなっていきました。別れの時はすぐそこまで来ているようです。
「儂はこのまま御霊となり一足早くみちのくへと帰る。お前達二人の到着を地元の豪族である安倍氏に伝えておく。そうでもしなければ二人共みちのくへ帰っても、誰にも信用されぬであろうからな」
「恩に着る、阿弖流為殿。神奈は我が無事みちのくへと送り届ける」
「さようなら、父君。そして余の生まれ故郷でまた会おう……」
こうして阿弖流為殿の御霊はみちのくへと帰って行きました。そしてこの時が父子の別れになるとは、その時誰も思いませんでした……。
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それから3日後、柳也殿と神奈様はみちのくへと旅立つことになりました。その旅立つ前夜、私は頼信殿に呼び出されたのでした。
「頼信殿、このような夜更けに何のご用でしょう?」
「裏葉殿、そなたはやはり二人に付添いみちのくへ赴くのか?」
「はい」
頼信殿の問い掛けに、私は迷うことなく答えました。
「やはり行くのか? 例え柳兄者に愛されることがなくとも」
「はい」
「俺の気持ちはあの時から変わっていない! 裏葉殿を本妻として迎えたいという俺の想いは!」
「頼信殿。今の私の気持ちが分かりますか?」
「えっ!?」
私の突然の問い掛けに、頼信殿は口を閉ざしてしまいました。
「自分が十年以上も昔から想いを抱いていた人を、僅か数ヶ月しか関係のない女に奪われる私の気持ちが! 二人の仲に入れぬと分かっていても、愛しき君を愛さずにはいられない私の気持ちが!?」
「……」
「頼信殿が私を本妻にすれば、貴方の妻は私と同じ気持ちを抱くのですよ……? 何年も想いを抱いていた人を奪われる苦しみを。貴方は私と同じ気持ちをご自分の妻に抱かせるおつもりですか!?」
「!!」
「もし本当に私を愛しているなら、私の気持ちを理解して下さい……」
「分かった……。どうやら俺は自身の愛に盲目になり過ぎていたようだな。自分と同じ気持ちを他の女性に抱かせたくないという裏葉殿の想い、確かに受け取った」
私の想いは何とか頼信殿に伝わりました。自分と同じ気持ちを他の女性に抱かせたくない。それは頼信殿が私を諦めてくれるよう計ろう為の弁明だったかもしれません。
ですが、私と同じ苦しみを他の者に抱かせたくないという気持ちも、確かにありました。
「だが……もし裏葉殿に何かあった時は全身全霊で助けたい! せめてそれ位の約束は出来ぬか?」
「はい。その程度の約束なら構いません」
「そうか。では約束だ。裏葉殿に何かあった時は、必ず俺が助ける」
「はい。約束です」
それは頼信殿と交わした他愛ない約束でした。そしてこのさりげない約束が、この後千年近く語り継がれることとなる、遥か遠き日の約束のきっかけとなるのでした……。
「うむ……!」
巻十四完
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※後書き
なんだかんだいって、また2ヶ月以上間が空いてしました……(苦笑)。
しかし、時間が掛かった分、「たいき行第二部」へ繋がる伏線を思い付いたりしたので、一長一短ですね。
さて、ようやくあと2話という所まで来ました。今のペースで年内完結は無理ですが、ようやくゴールが見えてきたという感じです。
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巻十五へ
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